「信じる者は救われる」という言葉があります。
多くの人は、根拠のない気休め程度のおまじないだと思っているのではないでしょうか。
あるいは、信仰や宗教を布教したい先人の意図的な言葉──と、やや穿った見方をする人もいるかもしれません。
「信じる者は救われる」という言葉には、いわば迷信じみたムードがありますが、実はこの言葉を裏付ける科学的なデータがたくさん存在すると言ったら、皆さんは驚かれるでしょうか?
今回は、「信じる者は救われる」という言葉を裏付ける科学的根拠と、信じる心が心身にもたらす効果について解説します。
「信じる者は救われる」という言葉の由来

はじめに、「信じる者は救われる」という言葉の由来についてお話しします。
この言葉の出自は明らかになってはいないものの、いくつかの説があります。もっとも有力なのが、キリスト教の新約聖書の中に登場する以下の一節に由来するというものです。
「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、信じない者は罪に定められる」マルコによる福音書16章16節
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」使徒の働き16章30節
キリスト教においては「神への信仰」が救済の絶対条件とされており、「信じる者は救われる」という言葉は、キリスト教という信仰の本質を表す言葉といえます。
あるいは、キリスト教を布教する際に、宣教師が「信じる者は救われます。だからあなたもキリストを信じなさい」といった具合に、キリスト教の売り文句として活用していたことは想像に難くありません。
いずれにせよ、キリスト教の教義や信仰スタイルにより生まれたこの言葉は、やがて宗教的な文脈を超え、一般的な人生訓や教訓として広まったと考えられます。
もともと、宗教や信仰といった「科学と対称的に位置する文化」から生まれた背景もあり、「信じる者は救われる」という言葉に科学的な根拠はありません。
しかし、近年のあらゆるテクノロジーの発達に伴い、「信じる者は救われやすい」という事実がわかってきました。
次項からは、「信じる者は救われる」のメカニズムを科学的に解剖していきます。
信じる心が心身にもたらす影響

人間は窮地に立たされると、本能的に不安や恐怖を覚えます。しかし、そのような状況にあっても、「何とかなる」「きっと大丈夫」といった前向きな気持ちや強い信念(つまり希望)があると、それだけで心身のコンディションが整いやすくなり、パフォーマンスが上がるのも現実です。
このような現象は、「プラセボ効果(プラシーボ効果)」として広く知られています。
プラセボ効果は、日本語で「偽薬効果」といい、古くから臨床試験や治験薬として活用されてきました。たとえば治験においては、薬効のない偽薬の効果と比較することで、治験薬の有効性を計測するという形で、現代においても活用されています。
プラセボ効果について簡単に解説すると、「薬効のない薬剤を投与しても、患者がそれを「有効な薬剤」と思い込んでいると薬効が表れ、症状が改善されたり体調が回復したりする現象」のことです。
信じられないかもしれませんが、人間の心身のコンディションは、思い込みによるプラセボ効果が大きく変化するのです。
プラセボ効果については、「健康の秘訣は「思い込み」だった⁉ 心が体を生かす人体の神秘」で詳しく解説しています。併せてご覧ください。
さて、まるで魔法のように超常的な現象に見えるプラセボ効果ですが、言うまでもなくれっきとした生理反応であり、科学的に説明できる物理現象でもあります。
プラセボ効果が発動しているとき、体内(脳内)ではドーパミンやエンドルフィンといった神経伝達物質が分泌されています。つまり、思い込みや期待といった思考そのものが神経伝達物質の分泌を促し、偽薬効果が生まれるわけです。
もう少しわかりやすくいうと、たとえば病気やケガの回復を強く望み、イメージし、期待することで、実際に治癒効果が生まれるということ。もちろん、これは気のせいなどでなく、実際に誰にでも起こり得る生態的な反応です。
人間は何を信じれば救われるのか
キリスト教では神を信じることで救われ、臨床医学では薬効を信じることで救われます。しかし、人を救うのは何も神や薬剤ばかりではありません。
たとえば、愛する家族や友人、あるいは信頼できる医師が、人を救う存在になる場合もあります。「早く病気を克服し、愛する家族のもとに帰りたい」という強い意思や期待が、実際に回復を早めるケースが多々ありますし、偽薬効果と同様に、医師への信頼が治癒を促進するケースもあります。
つまり、信じる対象が重要なのではなく、信じるという行為そのものに意味があるのです。
信じる心は「希望」を生みます。この「希望」こそ、自らの生命力を高める力の源泉です。
要するに、薬も効くと信じて飲む場合と、効かないと思って飲む場合とでは効果がまったく変わってしまう可能性があるということ。そして、いくら腕の良い医師にかかっても、その医師に対する不信感があると、診療に十分な成果が期待できなくなってしまう可能性があるということです。
プラセボ効果は、これまで何世紀にもわたり医療を支えてきました。法律や倫理が十分に整備されていなかった昔は、治療薬が開発に伴い、研究者が被験者や患者をまるで人体実験のサンプルのように扱うことが珍しくなかったといいます。
被験者や患者に試薬を与えて下痢をさせたり、吐かせたり、傷をつけたり。あるいは、出血させたり冷やしたり温めたりショックを与えたりなど、痛々しい治療を施してきた歴史があります。血種の治療にくもの巣や鳩の血を使ったり、薄毛(いわゆるハゲ)にガチョウの糞、胆石には羊の糞を使った治療を試みたりなど、見るも無残な医療行為が珍しくありませんでした。
そうした中においても、病気が治癒したという報告がたくさんあるのは実に奇妙なものです。
意外とトンデモな事例が多く見られる医療の歴史ですが、中でも象徴的なのが「マラリア療法」でしょうか。
マラリア療法は、20世紀初頭オーストリアの医師、ユリウス・ワーグナー=ヤウレック氏によって考案された治療法です。
当時、不治の病とされていた神経梅毒を治療するために、患者をあえてマラリア(結核、HIVに並ぶ三大感染症の一つ)に感染させるという過激な方法でした。しかし、実際にある程度の効果があり、その功績が認められたワーグナー=ヤウレック医師は、1927年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
マラリア療法は、一見すると過激に見える治療ですが、歴史的にも成功した事例です。
このように医学の歴史においては、現代の価値観からすると「トンデモ」としか思えないような荒療治が珍しくありませんでした。しかし、だからこそプラセボ効果の有効性が浮き彫りになる側面もあります。
興味深いのは偽薬効果だけではありません。医師が、ある薬剤やある処置などの効果を確信していると、その態度が患者にも伝わり、患者自身もその薬剤や処置の効果を信じるようになる現象も同様です。
これはつまり「人の想い」は伝染し、治癒や回復を促進したり、良好なコンディションへと導いたりする力を持っているということに他なりません。
「病気をコントロールできる方法がある」と信じる医師の肯定的な期待が、患者の肯定的な生理反応を引き起こしているのです。
「信じる心」が、逆境を乗り越える力になるという事実は疑いようがありません。
信じる者が起こす奇跡
「信じる心」は希望を生み、希望は心身のコンディションや免疫力を整える神経伝達物質の分泌を促します。その結果、心が前向きになるとともに、体の調子も良くなります。免疫力が整うことで体の抵抗力や自然治癒力が高まり、体内の病原体を駆逐したり、炎症を抑えたり、ダメージ回復が促進されたりします。その結果、不調が回復したり治癒したりするのです。
中には、がんなどの重篤な病を克服したケースもあります。具体的な事例については「余命宣告は死の宣告ではない? ~余命宣告を受けて生き延びた人々~」をご覧ください。
もちろん、「信じる心」だけで必ずしもすべての病症が消失したり寛解したりするわけではありませんが、信じる心(希望)があるからこそ、前向きな態度で闘病できたり、治療に励めたりするのは事実です。信頼できるパートナーや仲間、友人、医師などが身近にいれば、それだけでプラセボ効果の如く奇跡的な治癒力を発揮できる可能性もあります。
しかし、繰り返しになりますが「何を信じるか」「誰を信じるか」はさほど重要ではありません。
「何かを信じる」という行為そのもの、「信じる心」を持つことそのものが重要です。
病気の場合なら、「この病気は良くなるだろう」「治るだろう」という期待、遭難時なら「生きて帰れるだろう」「助かるだろう」という期待、人生の窮地に立たされた場合は「何とかなるだろう」「乗り越えられるだろう」という期待。
こういった「希望」こそ、奇跡的な生還を実現する力の源なのです。
いかに希望的観測で生きるか、いかに楽天的に生きるかは、健康的かつ幸せに生きるための大きな課題といえるでしょう。
【参考サイト】
・J-STAGE「梅毒性脳疾患とロボトミー」
・THE NOBEL PRIZE「Julius Wagner-Jauregg Biographical」




